サッカー浦島


↑腱鞘炎気味なので、ただいまこんな感じでダラっとリハビリ中……。
こんなにカワイくはないですが。にくきゅうLOVE。

たった10日あまりなのに、ちょっとニュースから離れると浦島状態に。みなさんにはいまさらな話題でしょうが、私的メモメモ。

スパさん辞任の衝撃!!! ローマとアーセナルは新しくも美しいサッカーをしていて、めったに他のクラブをうらやましがらない(武士は食わねど…ですよw)私も、「ミランでは絶対無理だけど、あんなサッカー素敵だなあ」と指をくわえてたのはほんの数年前。若者天国で我が道を行き、一定レベルを保っているベンゲルさん(=ジャー○ーさん、否!ガナーさん by『tototitta!』 詳細は連続ドラマ『Stretford Endにほえろ!』にて。必読必笑ですよ!)は、自分の趣味を存分に発揮できる権限を持てるブレミアだから良いけど、監督にその権限があまりないセリエAでは監督賞味期限はやはり3年から5年なんでしょうか。でもスパさんは優秀だから、きっとすぐ再就職先は見つかるんだろうな。

以前からスパさんをお気に入りだったガリは、辞任後さっそく慰労の電話をかけたそうですが、これはレオ様体制ヤバし!の非常事態時の保険かけたな?と思った人も多いことでしょう。そんなリスクマネージメントよりも、レオ様に戦力を与えたげて!


↑監督稼業の辛さをグチるスパさん? でもビリー相手だと、
二股かけたのがバレたタラシ男をなじる、乙女なスパさんにしか見えない(笑)

まだシーズン前の7月下旬、なぜかローマの練習場に(しかもローマのユニ着てる!)ビリーが登場。スパさんとの意味深な会話場面をパパラッチされておりましたが、この会話や如何に。

アンチェに再び年寄りベテラン縛りのくびき! チェルシーファンの方には笑い事じゃないでしょうが、「FIFAが2011年までチェルシーが選手と契約するのを禁止」というニュースを見た時、アンチェの真骨頂発揮じゃ!ってのと、やっぱりそういう運命なのかカルレット…と、ププっとなりました。たった2年、現状の働き盛りにそのままがんばってもらうなんて、アンチェならお茶の子さいさい。むしろ『こんな仕事、私しかできまいっ!』と、マゾ的やる気を起こしてくれることでありましょう。今年CL取れたら、あと2年後にまた取れるよw

そして最後になりましたが、コメントいただいていた方、ほんとにごめんなさい。やっと昨日仕事のひとやま越えて、連休前のもうひとやまに向けてしばしのんびりしてますので、まだあんまり更新できないかもしれませんが、どうぞまたごひいきに。


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カルロはコッパ好き

私事ですが、来週の月曜日から約1ヶ月間、ひたすら仕事に励む日々に突入し、ミランの試合を見るのがせいいっぱいになる予定です。更新はボチボチになると思いますので、その前に更新しまくっときます!

ということで、まずは逆転勝利で2勝と、ナゾのサラミパワーでチェルシー生活をナイススタートさせたカルレットの話題。

アンチェがチェルシーへ行くという噂が真実味を帯びてきた5月頃。おそらくクラブ内部ではもう決定していたからこそ、出版をこのタイミングに決めたのだろうと察しがつく、アンチェロッティの暴露本『Preferisco la coppa』が5月23日に発売されました。選手のみんなも、これでアンチェルシー行きってのが決定的ってわかっちゃったんだろうなあ。

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↑くー!なにこの、こにくたらしい笑顔!w

このタイトル、「私はカップが好き」というカップ戦に強いアンチェ…という表の意味の他に、グルメでグルマンの彼にふさわしい『coppa(ソーセージの一種)好き』&『coppa(コップ=食事)好き』って意味もあり。

この内容が一部イタリアメディアに出ていて、おもしろくてたまらなかったのだけど、この後のミランの激震の連続にクラクラし、記事にする機会をすっかり失ってましたので、この機会にご紹介。この本をミランのみんなにアンチェが餞別代わりにプレゼントした…と思うと、おもしろさとせつなさ倍増です。

アンチェロッティ:「モウリーニョは扇動者。イブラはピノッキオ」

26章、264ページの本。カルロ・アンチェロッティによる2つの言葉:「楽しんだよ。この自伝では皮肉なやり方でサッカーや、それだけでない30年間のことを語った」と、ミランの監督はメディアへのプレゼンテーションに際して、SKYのジャーナリストAlessandro Alciatoも参加して書き上げた『Preferisco la Coppa』の苦労を説明した。そこにはたくさんの皮肉と(2006年にレアルと1500万ユーロの契約をして、ミランがそれを反対したというような)暴露。この本の印税はSLAとの戦いに苦しむステファノ・ボルゴノーヴォ財団へ寄付される。最初と最後の章には同じタイトル『アブラモヴィッチに呼ばれて』が付けられている。唯一の違いは最初のものがイタリア語(Gli inizi=始めに)で、最後は英語(The end)で終わっていることだ。「しかし、勉強するのに2年間あった」と、長い事ミラネッロからロンドン、チェルシーのベンチへ行くと言われて来たアンチェロッティは、そう説明した。

教師たち しかし自伝の中で、レッジョーロ生まれの監督は将来のこと(このためにはフィオレンティーナ戦の終了を待つ必要がある)だけではく、過去の事も語る。まずはサッカー選手として、それから監督として。アンチェロッティは足にシューズをつけた彼のキャリアを振り返る。『練習の日々』のローマに、最初の監督ニルス・リードホルムから、『狂ったように見えた人』サッキのミランまで。トリゴリアからミラネッロへの移籍についても、首都の大邸宅でアドリアーノ・ガッリアーニとの初会見で、『ゲイの女役』と間違われた思い出にもスペースを割いている。

最良 一方、監督としては、アンチェロッティは94年アメリカ大会で、代表の副官のようにサッキの横にいて、失望を味わった経験から始まる思い出のタンスを開ける。それからセリエBのレッジャーナ、パルマ、ユベントス、ミランのベンチへ。多くの思い出の中心には、秘話、ジョーク、飲み込んでいたものの吐露。しかし、監督した非常に偉大な選手たちのことも:ジダン(『最もグランデ』)からカカ(『監督した中で最も力のあるセカンドストライカー』)まで、デル・ピエロ(『生まれながらのリーダー』)から、ロナウド(『あのポジションでは唯一』)まで。

オファー キャリアの中で出会った舞台裏と秘密について語らないわけにはいかない。1998年、フェネルバフチェのトルコクラブとの契約にサインしないために、イスタンブールから『盗賊のように逃げ』ざるを得なくなった時のように。または、2006年にフロレンティーノ・ペレスとの間で、『私はレアル・マドリーに1500万ユーロで3年契約にイエスと言った』時のように。ミランはそれに反対し、何も起こらなかった。しかし、メレンゲは最良の者を欲しがった。アンチェロッティはこう言う:「私が『The Best』だったんだ。なぜなら『Special One』はすでに雇われていたからね。ジョゼ・モウリーニョはジョゼ・モウリーニョであることを演じていた」

モウリーニョの章 インテル監督のポルトガル人は、しばしばロッソネロ監督から引き合いに出される。22章では様々な別名が付けられている:「偉大なるコミュニケーター、それを良く知っているひとり、計り知れない扇動者、決して命令されたことがないスペシャルな監督」。アンチェロッティによれば、もしモウリーニョがすでに2006年にイタリアに居たなら、有名なセリフ『zero tituli』を彼のミランのために使い慣れていただろうとのことだ。しかしこの同じシーズン、ミランはアテネのチャンピオンズ・リーグ決勝でリバプールを破り、カルレットはこうやり返したことだろう:「Zero tituli una minchia(ゼロ・ティトゥーリなんてクソッタレ)」。「私はcoppa(ソーセージ)をいつも食べている。でもそれが可能な時にはcoppa(カップ)を勝ち取る」からでもある。

ウソつき しかし、インテル監督だけが本のページに登場する唯一のネッラズーロではない。カルチョポリの2006年夏にミランが獲得を夢みたズラタン・イブラヒモヴィッチ、彼にも尊敬の念をこめてあだ名を進呈している:それは短気なピノッキオ。「イブラには待つ勇気が欠けていた」とアンチェロッティによって書かれている。「逆上は罰を受けず、マッシモ・モラッティにとってはイエスだった」

将来 チェルシーのオファーに関連する問題については自伝の最後のページに(「私とアブラモヴィッチは一緒だ。私には最悪なことがあると言うことになるだろう。彼にとっての最悪の時期は過ぎた。すでに彼のスペシャル・モウリーニョと働いたことがあるんだから」)。そして、彼を求めてくれる全てのクラブに感謝を述べる:チェルシー、レアル・マドリー、バイエルン・ミュンヘン。パオロ・マルディーニからの序文にも、同じ名前が挙げられている。「アンチェロッティはどこででも勝てる。彼はあらゆる方法で解決してきた。僕にとってはただ純粋に友だちだ。だから、彼がいなくて寂しいだろうな」

(Corrire dello Sport.it 09/05/26)

イブラの短気とは、ほぼミランへの移籍が決まっていたところに、カルチョポリでB降格、それが軽減されてもCL出場権をUEFAが認めないという恐れがあったために、結局はそれを免れた決定までイブラが待てなくて、心変わりしてインテルへの移籍を決めてしまったこと。レストランでミラン担当者がイブラ代理人と話を詰めていたが、席を立っているスキにインテルが移籍を決めてしまった…という話は、この事情を象徴的にジョークにしたもので、ホントの話じゃないですw

(記事から一部抜粋)例えば、『骨の随まで』インテリスタとして育った少年であり、ローマとミランでプレイした男の典型として、ユーベへのうわべだけの反感。アンチェロッティはユベンティーニの合唱(『ブタは監督できない』)にまだうんざりしていると認めるが、モッジには部分的に復権させる(「そんなに醜悪ではない悪人」)さらに、ジダンへの賛美を忘れない(「私がかつて監督した中で最も偉大な選手。別世界のユニークな住人」)。ミランのマルディーニを引っ張って来るという(ユーベの)アニェッリの夢、バッジョへの後悔、パルマでは彼の4-4-2が歓迎されなかったこと。行間に何度も、カペッロへの反感。2006年にレアルマドリーと仮契約の話をし、それをミランから阻止された時と同様に。それから逸話がたくさん:あのカペッロ(!)を殴ったフリット、ミイラのようにぐるぐる巻きになったブルーノ・コンティ、アンチェをパパと呼ぶ酔っぱらったセルジーニョ、グループのジョークの犠牲者になるフラミニ。楽しめるたくさんのページ。コッパソーセージのスライスのように。

(Corrire dello Sport 09/05/27)

ますます読みたい…。セルジー!w フラミニー!w

以下はGazzettaに抜粋された本文。アンチェ、ゲイ疑惑事件!

「1987年、ミランは若き監督サッキを雇い入れていた。彼が私に目をつけていた理由はわからない。彼はすでに他のクラブから獲得されていたフリットやファン・バステン以上に、私の獲得に全力を傾けた。私は怒っていた。交渉はすぐに成立することを願っていたが、少々待たされたからだ:取引はメルカート最終日に成立した。私はサルディーニャでバカンスをしていたが、ローマの事務局長のBorgognoが電話をしてきて、こう言った:「我々は君を売った。ローマへ来るんだ。君にアドレスを教えるから、そこに行けばミランの幹部に会える」。Velabroにある邸宅。私はそこへ行かなければならなかった。それは街の歴史的地域にある大邸宅だった。そこに到着し、入り、変だった。門番たちは何も言わず、部屋の鍵を与え、私にウインクをした。その理由は後からわかったのだが、その時はなんのことかわからなかった。

私は部屋へと上がり、ドアを開けると、広間はとても広かった。テーブルにはシャンパンとケーキが並び、アルコールは控えていたが、大皿の上のものは片付けた。予期せぬことにいきなり、若いが頭に毛がまったくないミランの幹部が現れた。ゼロ、一本もなく、良く整えられていた。それが代表取締役のアドリアーノ・ガッリアーニだった。『Lo Zio(伯父さん、年配の人への敬称)』だ。私は門番たちのことを思い浮かべた。合点がいき、背筋がぞっとした:彼らは部屋に行く前にシャンパンとケーキを頼んだ、スキンヘッドの紳士がやってくるのを見たのだ。それから私がやって来るのを見た。私の当時のあだ名カルレットとは『Il Bimbo(少年)』のものだ。なぜ彼らがウインクしたのかわかった:私はゲイの女役だと思われたのだ。

それがガッリアーニに会った最初だ。我々はクラブの哲学、何をして欲しいかなどについて語った:「我々は偉大なる野望を抱いている」。このフレーズはすでに何千回も聞いていたものだ。「我々は来季、カンピオナートで優勝し、チャンピオンズ・カップに行き、2年目にはチャンピオンズ・カップで優勝し、3年目にインターコンチネンタルカップを取りたい」。おお、これは新しい。私は時間を見て、彼は酔っぱらってそんな事を言ってるのかと思ったが、それにしては早過ぎた。すでにガッリアーニはアルコールにどっぷりやられていたのか、おそらく完全に理性を失っていた。それからほどなくして、私はシルヴィオ・ベルルスコーニと電話で話した。これが最初だ。『もしもし? 私が会長だ』。『ボンジョルノ』。『ボンジョルノ:君の膝はどうかね?』。だしぬけに、それが最初の質問だった。『会長、大丈夫です』。『我々は君にとても期待している。我々は来年はカンピオナートで優勝し、2年以内にはチャンピオンズ・カップを勝ち取り、3年後にはインターコンチネンタルカップだ』。その酔っぱらい加減は公式の、共有のものだった。しかし、この人たちはミラノで何に酔っぱらったんだろう? 冗談を山ほど、彼と話すことは刺激的だった。『ではまた、会長』。『またな、カルレット。そして、メディカルチェックがうまく行くことを願っておるよ』。私はボールを触られた」(注:ボールの複数形のpalleは俗語でキン○マの意味なので、命運を握られた的な例えと、ガリとのエピソードのゲイ疑惑とをかけているのだと思われます)

(Gazzetta dello Sport 09/05/24 第6面)

は〜。かつてのゴージャスミラン、若き日の野心あふれるベル&ガリがまぶしいですねえ。こんなこと聞かされたら、やるぜー!俺はやってやるぜー!ってクラクラしちゃうよ(カルレットは酔っぱらってるとか言ってるけど、当時はそんなにスレてなかったと思うw)。しかもその戯言を本当に実現してしまったのだから、当時ミランに所属できた選手たちはラッキーとしか言いようがない。それにしても、カルレット×ガリなんていうマニアな妄想は、丁重にご遠慮させていただきます…。

そして、以前このブログ上からの不躾な呼びかけに鮭イクラ丼の君からお答えいただきまして、中国メディアによるアンチェ本の引用記事を教えていただきました! すでにすばらしい翻訳をされているので、ご覧になりたい方はこちらへGO! とても参考にさせていただきました。拙訳よりぜんぜん楽しいです。そしてリンクのご了承ありがとうございました!

上の『アンチェの君、品定めの夜:選手編』の件は、ご紹介されていた2つのエピソードのうちの一つですが、もうひとつの『アンチェの君、品定めの夜:監督編』を、以下に。

アンチェロッティがチェルシーに移籍するのは以前から計画的

007の隠れ家でアブラモヴィッチと面会

『アブラモヴィッチに呼ばれて』。これはアンチェロッティの自伝『Preferisco la coppa』の第1章のタイトルだ。メディアはよくウソを書くが、去年の5月にジュネーブとパリで2度、アブラモヴィッチとの秘密会議があったことを自ら認めて、本の中で初めて公表した。「その当時、アブラモヴィッチは新しい監督を探していて、私はジュネーブの豪華なホテルにて、たくさんのボディガードに囲まれている彼に会った。すばらしい話をする中で、アブラモヴィッチはチェルシーの重厚な風格を感じさせた。アブラモヴィッチは私に対して、全て理解したいと願い、私のサッカー哲学を知りたいと言った。彼はチェルシーを個性あるひとつのブランドとなるように望んでおり、それは今現在のチェルシーのようではなく、マンチェスター・ユナイテッドやミランのようなイメージだと言った。話しているうちに、私はアブラモヴィッチがシャイで、その次にサッカーの知識に関して博学な印象を持ち、またサッカーに対する情熱と渇望を持っているとわかった」

その面会での話題はサッカーに関することだけで、お互いに話す事がとても楽しかった。2週間後、アンチェロッティは再び密かにパリへ来て、『ジェームズ・ボンド』となった。「私たちはこの会見は絶対に秘密にすると約束した。タクシーに乗ると、運転手はバックミラーをしきりに動かして、私の表情をうかがっている。しかし、私は彼に何も教えることはできない。私はまさに真実の愛を探している道中であり、秘密の任務を遂行しているミラン監督であり、007のようなのだ。シャンゼリゼ通りから目と鼻の先にあるジョージ5世ホテルで、『私とアブラモヴィッチ』の第2幕は間もなく上演される。私はサングラスをかけて、スパイのように回りを観察し、カメラマンや怪しい輩がいないことを確認してから、ホテルへ入った…」

「立派なホテルに入ると、アンラッキーなことにイタリア人代理人のパストレーロを見つけた。彼は急いで別の片側に逃げて行ったが、結局私はまた親愛なる同業者であるスパレッティに出会った。私は大いに笑って、『君もここに来たのか』と言った。明らかに、彼も今日チェルシーと面会しに来たのだ。私は自分が1軒のスーパーマーケットに飛び込んだように感じた。私たちはみんなアブラモヴィッチが仕入れるただの1人に過ぎない。彼は1より2、1より3を選ぶかもしれない。それとも1を選りすぐるか? 誰がわかろうか」

2回目の会談もアブラモヴィッチは前と同じようにサッカー談義をして、お金については一言も触れない。アンチェはアブラモヴィッチにこう教える:「あなたのチェルシーはフィジカルがとても強い。しかし中盤のテクニックが不足しています」。アンチェロッティはシャビ・アロンソの名前を出し、一方、アブラモヴィッチはシェフチェンコの事を言い出し、明らかにこの時のアブラモヴィッチは依然として自分の採点では昔のような状態に戻れると考えていた。とても短く感じたが、40分で会談は終わり、アブラモヴィッチは正式なオファーは出さなかった。

2年間の英語の勉強、以前から計画的!

アンチェロッティは少々失望した。しかし本当に雷に打たれるのは、その2時間後に受け取った1本の電話によってだった。電話からはガッリアーニの声がした:「パリはとても美しいかね。君の駆け落ちの計画はどれくらい進展したかね?」

ボロがでた。ガッリアーニはアンチェロッティに告げる。ミランは彼を手放すことはあり得ないと。アンチェロッティもそれを承諾し、自ら出ようとは思わなかった。しかし、自伝の最後に読者はエイプリールフールへと誘われる。自ら「英語の思考を用いるのには問題がある」と公言しているアンチェロッティ。すでに一度スコラーリを解任して、また監督を捜して迷走するアブラモヴィッチからの誘い。アンチェロッティはガッリアーニを探し、「聞いてください。あなたにお知らせしなくては。私はチェルシーに行きます」。「ありえない。このことは誰にも話さない」。「私を引き止めておきたいと言うのですか?」。「もちろん」。「5月31日のシーズンが終わる日に最終決定できるでしょう」。

これは楽しい談話ではない。緊迫した雰囲気の中で、会議室のテレビからはモウリーニョの姿が飛び出し、スペシャルワンは自分をイエス・キリストに例える。アンチェロッティは心の中で考える:「主よ、彼の罪悪を寛大に許してくださいますよう」。

アンチェロッティはこう言う:「アブラモヴィッチの最悪な時期は過ぎた。彼はすでにモウリーニョと仕事をしたのだから」。自伝の中で、アンチェロッティは昔からチェルシーに興味があったことを少しもごまかさない。彼はこの2年間、毎週3回の英語の授業を受けていたことを認めている。英語はまだ不得手だが、もうすでにテリー、ランパード、ドログバなどの試合のビデオは研究した。彼は「紙面上では、私はとっくにチェルシーの監督だった」と感じていた。そしていま、この『紙面』が契約となったのだ。

もしアンチェロッティが怒れば、その結果はすごく大変

アンチェロッティの自伝は、イギリス人たちが思う彼の重苦しくうっとうしいイメージを十分打ち破るものだ。読者はアンチェロッティのユーモアとインテリジェンスあふれる性格を感じることだろう。その良い例として、本のプロモーションで、彼は眼鏡をかけて、本のある段落を朗読したが、フラミニを始めとするチームメイトたちにからかわれて、チームにサービス精神を提供した。

指揮の特徴についてアンチェロッティは語る:「私の最も基本的な信条はいつも冷静さを保つことだ。私はこの性質を両親から習い、選手時代にはこれはケガをした時にとても役立った。さらにこれは何度も私の手助けとなった。状況をコントロールすることも助け、過度に緊張して、選手、ファン、クラブ、メディアが私に圧力を加える時に乱れないでいられる」。

選手の前では友だちであり、心理学者だ。彼は喜んで広く意見の発表の場を開き、選手の意見を聞く。当時、ピルロがコンバートされたのは、選手本人の提案からだった。しかしだからといって、くれぐれもチェルシーの選手はアンチェロッティを気がいいと思ってはいけない。ベッカムは言った。アンチェロッティの『ドライヤー』は、ファーガソンと似ているところがあると。それはアンチェロッティも認める:「私は選手と話し合うのが好きで、叫んだりしない。しかし時にはそうとは限らない。ある時、ミランはボローニャに負け、私は徹底的に出た。結局私も人の子だ。選手たちの闘志がまったくなく、私はめちゃくちゃに蹴り飛ばした。最後には私ひとりロッカールームで天をあおぎ、テーブルを叩き、扉を蹴り、瓶を転がし、うんうんと自分の肺のすべてを爆発させなければならなかった。私は全員を1度は口汚くののしって、徹底的に個人攻撃をするが、しかしそれには計画的な目的があるのだ。よく考えて彼らを叱るのであって、ほめるところはほめる」。

オーナーを我慢するか? アンチェ『ブタ』に限度あり

ミランで、アンチェロッティは干渉好きなオーナーであるベルルスコーニと出会う。しかし、彼は新たなオーナーに注意をうながす:「一部において、私はとても明確だ。先発メンバーは私が決定して、戦術は私が必ず決めていかなくてはならない。監督であれば、これだけのことは必ずしっかりと把握しなくてはならない。これは私がどこで指揮を取っても同じ事だ。そう、オーナーには問題提起する権利があり、監督には説明を提供する義務がある。それだけのことだ」。

実は、アンチェロッティには否定できない、恥をしのんで重責を担った経歴があった。「1999年、私はユベントスへ契約の話に行った。リッピの後を引き継ぐつもりだった。彼らは私が予定した契約が現場に介入しているので、紙の上の契約に青いペンを使うのだ!(注*このあたり良くわからず) 私はその時それに気づくべきで、これは一種の警告だった。最も恐るべきことを平気でする警告。私がユベントスの事務所へ出勤する1日目に勝るものはないだろう。見ると、大きな下手な字で、歓迎の言葉が書かれていた:ブタには指揮できない」。

「確かに、私はブタだ。これはなんということもなく、私は農場で成長した。ふるさとは有名なソーセージ、ハムと各種の豚肉製品の産地だ」。アンチェロッティは選手時代、ブタと切っても切れない縁があったことを自嘲する。「私はとても食いしん坊だ。22才でイタリア代表の主力となったが、ケガのために1982年のワールドカップは逃した。回復する過程はあまりおもしろくはなくて、体重はどんどん増えた。ローマのクラブの人々は私がどうしてますます太っていくかわからなかった。今、私はその秘密を明かすことができる。私たちは山の上で期限付きの合宿をしていて、そこでキノコをたくさん手に入れた。私の部屋には小さなキッチンがあって、毎晩真夜中に私はキッチンで研究をした。通常研究したのがキノコパスタだ。研究結果は自然と食べてしまう。ちょっと想像してみて欲しい。毎日午前1時、皿いっぱいのパスタを口に入れたら、新陳代謝にどんなことが起こるか、特に私の新陳代謝にどんな影響を及ぼすか…」

sports.sina.com 09/06/03)

もう、どっからツっこんだらいいかわからない。アンチェ、愛のパリ駆け落ちですかい。やっぱりメタボ生活ですかい。

でもさー。あのデリケートな時期に、こんな内容の本もらって、読んじゃった選手のみんな。もう、泣き笑いするしかないでしょ!w


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ニュー・マインドルームが必要?

アンチェルシー、ドロゴル!ドロゴル!で初戦勝利ー! 私はチェルシーについてちゃんと語れるほど試合を見てないですが、ピンボールのようにピッチいっぱいにボールがスピーディに動く爽快さがあきらかに前より薄れ、なんとなーくグダグダしてるけど、最後には勝っちゃうイタリア〜ンっていうか、アンチェミラ〜ンって感じが伝染してたw このジワジワジリジリする後にギリギリで勝つ、そんなカタルシスに慣れてくると、すっきり快勝!では物足りなくなるマゾいファンのできあがりです。これは尻上がりに良くなって、CL優勝しちゃう前触れかっ?!

同点にした場面で実況の西岡さんは「普通の監督だったら立ち上がって大喜びでしょうが、さすがにアンチェロッティは落ちついてますね〜」なんてホメてましたが、あれは腹が重たいからですよっ!とツっこんでおりましたよ。それなのに、mrckさんもコメントに書いてくださいましたが、カルロったら後半からすぐにバラックを投入、その後も機能していない部分をさっさと変える身軽さ的確さっ!!! ミランの時と違うじゃん! まあ確かにこのところのミランはカルロさんが交代させたくてもベンチが薄かったのは確かだけど、でもねえw 人間、やはり環境を変えてマンネリを脱すると、いろいろフレッシュになるのかな。

さて、以下はプレミア最初のタイトル、コミュニティ・シールドをアンチェルシーが獲得した翌日のGazzettaコラムです。この記事はぜひ最後までお読みくださいね。

友人カルロのために、テレビの前に

昨日(9日)、ミランの選手たちは休日を楽しんだ。彼らは元監督カルロ・アンチェロッティの公式デビューをみんな一緒にテレビで追った。ロンドン:マンチェスター・ユナイテッド×チェルシー戦。

アンチェロッティの最初のクローズアップ、緊張している。

アンブロジーニ:「ミステル、太ったじゃん」

セードルフ:「そりゃあ、グレイの制服のせいだな。俺たちの黒ならやせて見える」

ミラネッロのコック:「ここじゃ、もっといいもん食ってたで」

アントニーニ:「ウェンブリー、かっけーなー」

ファヴァッリ:「今見てるのは新しいウェンブリーだよ。古いのは取り壊した。1923年にこけら落としされたのさ」

ボリエッロ:「あんた、そん時いたんかいっ?!」

一同ニヤリ。

マンチェスターのナニが決める。

ジダ:「ツェフがミスしたの見たか? それで、ミステルは彼が俺とおんなじだと思ったんだ…」

ネスタ:「俺たちもな」

一同ニヤリ。

エヴラがクロス。

レオナルド:「なんというサイド攻撃…」

ガットゥーゾ:「それにルーニーの献身的なこと。ジーニョ、目の穴かっぽじって見れ」

一同ニヤリ。ロナウジーニョ以外は。

インザーギ:「厳しいな。カルロは自分に優勝カップをもたらすアッタッカンテをもう持ってないね」

アシュリー・コールのクロス。

レオナルド:「なんというサイド攻撃…」

カルヴァーリョの同点ゴール:1-1。

ストラーリ:「ベンフィカじゃゴール決められないポルトガル人が、悪くないじゃないか…」

エヴラが倒れている間に、ランパードのゴールで2-1。

アバーテ:「反スポーツ的だ!外にボールを蹴り出すべきだ」

みんなからじろっと見られる。

アバーテ:「冗談だよ…」

レオナルド:「なんというサイド攻撃…」

ガッリアーニ:「レオ、君にサイドバックが必要なのはわかったから!」

終了間際にルーニーが2-2に。

ベルルスコーニ:「だから私は、カルロはアドバンテージを保持する仕方がわかってないと言ったのだ」

チェフはPKを2つ止める。

ネスタがジダに:「ツェフを見たか?」

チェルシーの勝利。アンチェロッティは元ミランの心理学者ブルーノ・デミチェリスと抱き合う。

合唱:「グランデ!ミステル! Primo titulo!」

ガッリアーニがレオに:「落ちついて、レオ。君も勝つって」

チェルシーのカピターノ、テリーがコミュニティ・シールドの皿を掲げる。

ガットゥーゾ:「考えてみろよ、アンドレア。おめえはあそこに居れたんだ…」

ピルロ:「ああ、くそったれ…」

レオがガッリアーニに:「私たちには他の心理学者がいます?」

LUIGI GARLANDO

(Gazzetta dello Sport 09/08/10 第10面)

もうおわかりかと思いますが、これ、GARLANDO氏の創作であります。こう、素直にニヤリとできないキレの悪い微妙なユーモアな気もするけど、レオ様のつぶやきが涙をそそりますw

心理学者ブルーノ・デミチェリス氏は元オリンピック柔道選手。デポルティーボに大逆転で敗退した時か、イスタンブールでリバプールに大逆転された後だったか忘れちゃったけど、そういった大きな心の傷のケアのために作られた『マインド・ルーム』なる施設の責任者でした。『マインド・ルーム』って、ベッドに選手が横たわり、リラックスできる映像と音楽を流し、その選手の心拍数や筋肉の緊張度などを別室のモニターで記録するという、うさーん臭いものだったのだけど、あれからまったく話を聞かなくなったので、効果なかったんでないの? アメリカでのミラン×チェルシー戦の時に、アンチェと共にレオ様に挨拶してる恰幅のいいオジサンがデミチェリス氏です。

ミランさんたちには『ニュー・マインドルーム』(電気ショックバージョン)が必要かも。ビリっと、な。


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アンチェルシー見参

ミラン公式に、

ミラン-チェルシー戦前夜の今日、特別な夕べとなった。というのも、ミランの滞在するホテルに,カルロ・アンチェロッティ、とアンドリュー・シェフチェンコが訪れたのだ。お互いの興奮と想いを垣間見る場となった。

と、あって、ニヤニヤしてしまいました。ソツがないな、アンチェ。シェヴァとアンチェ、どんな会話してるんでしょ。お尻がもぞもぞする気持ち。

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↑カルロのあごはロンドンに美味しいイタリアンレストランが
存在することを証明しておる。

記者会見で、「ピルロ? もうチェルシーの選手だよ。うははーウソウソ。私が冗談好きだって知ってるでしょ?」などと、その余ったほっぺたをツネりたくなるようなジョークを言ってたカルロさん。今日付けのGazzetta独占インタビューでも、「入るロッカールームを間違える監督や選手がいるなんて、都市伝説ですよ、うふ」なんてジョークも。今回のホテル訪問時にも「わかっていることは、明晩アンドレアがミランのユニフォームを着てプレイすることだ…将来は誰にもわからない。Vedremo」とも。いざ対戦相手になると、カルロのジョークってムキーっとなる(笑)

そういえば、レアル・マドリーのバスにファンからの緊急退避で乗ったカカが、騒がれた事件がありましたっけ…。

明日の試合は日本時間9時から。以下はGazzetta予想フォーメーション。ピルロのコンディションは上がっているので、多少は出場するかも。パトはインテル戦に出るか出ないか…というところ。いつ油さまがベルガリの目がくらむような巨額オファー出さないかと、ヤキモキしますよ。

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ほんやくコンニャクがあったなら…

ちょっとだけご無沙汰でした。仕事が忙しかったのもあるんですが、記事更新できず大幅に気力を奪われていたその原因は、eBayのイタリア人バイヤーと落札物に関してモメモメしてメールしてた事でした。といっても、何度も取引している自称ミラニスタの商売人クリスティアンとではなく、初めて取引するお方。詳細は省きますが、商品を人質に取られているようなものなので、それをつたない英語で抗議するめちゃめちゃ気が重い作業にぐったり。うわーん、もう一気に夏バテの気分。『ほんやくコンニャク』欲しいよー!ドラエモ〜ン! やっと今日、彼女から荷物のトラッキングコードが送られて来たので、これで一件落着…だといいのですが。

疲れるといえば、ミランのニュース。逐一読むとメルカート酔いで頭クラックラなので、しばらく遠巻きに見るだけに。とにかく。噂話とか金勘定とか言い訳とかじゃなくて…

早くミランの試合が見たーい!

かっぱさんのBBSにてその情報を拝見して、解約するのをやめたフジテレビNEXT。そう!豪華なアウディカップが放送されるのです。予定はこちら。そして、ミラノダービーベストセレクションPART2も放送。予定はこちら

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↑チェルシーの練習場コブハムを訪れた30日のアンチェ。
すっかり服装もイングランド化。ますます企業の中間管理職っぽいですぞw

先日のアンチェの言葉、もっと長いバージョンがあったので、私用にメモ。マル現役続行って、カルロお得意の選手の自尊心くすぐり系の冗談じゃなかったんですかい。

「私がチェルシーと契約した時、まず最初に、確かにマルディーニは41才ではあるが、私について来て、もう一年プレイを続ける気持ちは無いかどうかと聞いたんだ。彼はノーと言い、もうサッカー選手であるとは考えていないと話した。それから私は、ではせめてチェルシーの重要な役職となって、協力者としてロンドンへ私について来ないか聞いてみた。しかしこれにもパオロはノーと言い、自分は長年、最前線でプレイして来たので、すぐにそういう重責ある重要な責務を再び始めるのではなく、あまりキリキリしない事をしたいと説明した」

「ドログバと賭けた。私が英語を習得するのと、彼がイタリア語を習得するのとどっちが早いだろうかってね」とアンチェロッティは笑う。「でも、この賭けは彼の勝ちだろうな。チェルシーの3人の幹部がイタリア語を習い出しているのも知っている。たぶん、それは私の英語に絶望したんだろう…」

「ロナウジーニョが3年前のカンピオーネだった彼のレベルに戻ることを願っている。それを彼のためとミランのために願っている。彼が再びそうなるためには練習で取り戻さなくてはならないと信じている」

(Tutto Sport 09/07/01 第8面 +Corriere dello Sport 第5面)

カルロさんは最初タッソッティを副官として連れてこようとしたけれど、副官には既にウィルキンスがいるからとアブラモヴィッチに止められ、プレミア経験があって英語もできるフィリッポ・ガッリ獲得はミランに断られ、サッキ&カペッロ時代にミランのアスレチックコーチで、現在はディナモ・キエフにいるVincenzo Pincoliniを呼ぼうとしたけれど彼にも断られ、この役職もやはりイギリス人コーチが就任する予定と、『イタリア語での話し相手急募!』はフラレっぱなし。頼みの綱である副官ウィルキンス氏のイタリア語も、そんなに流暢ではないということで、とってもアウェイな感じのアンチェさんFORZA、超FORZA。今のカルレットには『ほんやくコンニャク』が切実に必要。そんな自分も大変な時に、ミランを、そしてジーニョを思って言ってくれる言葉のありがたさよ、よよよよよ。

月曜日からミランの合宿が始まり、レオ監督のシーズン初記者会見がありますが、アンチェルシーも月曜日に記者会見をライブ放送しちゃうそうで、その英語にドキドキ。


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