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ミラニスタになったヤンクロさん

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↑06年春に出版されたドルガバ写真集で一番好きと言ってもいいショット。うう2人とも…。
この写真集、構成もいいけど、05/06シーズンのチームってすごく好きだったので格別です。


ミランの契約を延長せず、チェコに帰る予定のヤンクロさん。Milan Channelにてお別れのあいさつ。

みんなにありがとう

マレク・ヤンクロフスキはエレガントに去り、別れを言う。この数日、彼はイタリアでの経験全てを思い返し、ミラノとミランが彼の第二のホームだったと回想している。

ミラノ発 去る5月9日に34才を祝った際に、彼はミランにおける誇りある戦力としてミランへ別れの挨拶をした。スクデットへ向かうミラネッロの道を脅かすものではない敗北となったパレルモ戦で先発し、プレイで挨拶をした。今年2月から3月において、サン・シーロでのナポリ戦とトリノでのユーベ戦という鍵となる試合でとても重要な存在感を示した後、ケガをしたマレク・ヤンクロフスキは別れを言った。

故郷のオストラーヴァに戻るチェコのサイドバックの実積は重要だ:ミランでは2005年から2011年まで158試合出場4ゴール(ひとつは2007年ヨーロッパスーパーカップのセヴィージャ戦での勝利の1点)、CWC優勝1回、CL優勝1回、スクデット獲得1回、ヨーロッパスーパーカップ優勝1回。

ここにミランチャンネル独占で今週始め発せられた彼の発言がある。マレクのロッソネロとしての最後のシーズンであるアッレグリ監督の選択から分析は始まる:「今年はとても大人数の選手構成だった。僕らは31人いて、11人しかプレイできないんだから。選手全員の番が回ってくるのは難しかったし、だからプレイできなくてストレスがたまるのもノーマルなことだった。でも重要なことは、先発だったもの、ゴールしたもの、ベンチだったり観客席だったもの全員が、1週間を通じて練習で楽しく、自身を楽しませることだった。練習の日々は落ちついていて、それから日曜日はある選択をされるのが普通のことだ。あるものは観客席に座り、とにかくチームメイトを応援した。ピッチに戻ることはすばらしいことだ。シーズンは8月末に始まり、僕は2月までほとんどプレイできなかった。自分自身の中ではもうプレイできないとは思ってなかった。それからナポリ戦でチャンスがやってきた。ナポリとのビッグマッチはとてもうまくいき、僕にとってはミランでの最初の試合のようにプレイできた。もう6年も経ったのにね。子供みたいに幸せに感じたよ」

それから、歴史。最も美しい瞬間:「最初の美しい思い出はもちろんミランのユニフォームを初めて身に付けた時だ。世界最強のチームでプレイするという夢を実現させたんだから。それから当然アテネの決勝は忘れられない。でも僕がゴールしたヨーロッパスーパーカップもね。僕にとってミランは夢の具現化だった。チェコからイタリアに来ることは夢であり、誰もが掴めるものではない。それに過ごした11年間のうち、ミランでの6年間は多くの試合に出て、多くの成功をおさめた。最初はちょっと苦しんだんだけど、でもそれからすばらしかったよ。アンチェロッティとの4年間はずっと最高に素敵だった。とてつもない選手たちのファンタスティックなグループで、マルディーニ、コスタクルタ、ルイ・コスタ、カカ、スタムらを思う。彼らみたいな選手たちと一緒にプレイするなんて夢のようだった。それからまだロナウジーニョ、ロナウド、パト、ロビーニョ、彼らがチームメイトなんて夢だ。イタリアはミランと同様に僕の第二のホームだった。でも物事には終わりがある。思い出はずっと残るだろうけど、いつでも思い返すこともできる。去る時は成し遂げたこと全てを思い返すだろうし、ここでできたすばらしい事が価値あるものとして僕に力を与えてくれるだろう」

そしてサッカーの後は?:「まだわからない。きっと監督にはならないよ。でもスポーツマネージャーになるのもいいかもしれない。そうでなければ若者たちの代理人となって、サッカー界に貢献したい。多くの経験を持っていると思うし、自分の国で何か提言できるのではないかと考えている。あなた方全てに、人々全てに、幹部に感謝します。クラブは、契約が満了となってもここで回復するまでリハビリできると言ってくれた。これはこのクラブがいかにグランデであるかを今回もまた示してくれた」

(A.C.Milan.com 11/06/01)


ヤンクロさん、シェヴァやカフーも思い出したげて…w

ヤンクロさんが移籍する前のシーズン終わり頃、すでにウディネーゼではミラン行きが公然の秘密となっていて、そしたらミラン戦でオウンゴールしちゃったもんだから、移籍するプレゼントだね〜なんて当時内心で冷やかしてましたなんて思い出。確か足首にケガして金具を埋めてて、それを取り除くまで調子悪かったんじゃなかったかな。

上記公式記事では書かれていなかった放送部分を。

ヤンクの別れのあいさつ:「夢見てたスクデットで飾られたすばらしき6年間」

「ミランでの自分の冒険はこれで終わるが、たぶんイタリア人もそうだと思うけど、キャリアは自分の故郷で終えたいんだ。ただ今はケガ後の膝の状態がどんなものか知る必要がある。通常は6ヶ月かかるが、今は毎日トレーニングしている。すべてうまくいくことを願っていて、そうしたら続けられる可能性があるのか、それがどこなのかということがわかると思う」

「たぶんケガがなかったら、シーズン最後の時期にまだチーム内にスペースが見つけられたと思う。でも今は過去のそんな仮定は役にたたないね。僕はあまりプレイできなかったし、それもサッカーの一部。でもナポリ戦とユーベ戦で招集されたのは幸せでうれしかった。プレイしない7〜8ヶ月後にスクデットにとって重要な試合に準備してた。それは簡単なことじゃなかったが、自分のプロフェッショナルなところを見せられてうまくいったし、僕が11年間夢見てたスクデットの獲得のために多少とも貢献できたんじゃないかと思っている。実際にカリアリ戦のあの日は最高にすばらしい日だった」

「チェコのような小国から来た自分にとって、イタリアに来ることは夢を実現することだった。それができて幸せだった。ここイタリアで11年、このように重要で強いチームであるミランで6年を過ごした。多くの試合に出て、最初はちょっといまいちだったけど、最終的にはすばらしい6年間だった。2010年1月にインテルへ交換で行くはずだった話? そのことについては2度と考えなかった。僕はここでプレイしたかった。インテルは僕に1年以上の契約をオファーした。インテルの順位は首位だったし、最後には全てを勝ち取った。でも僕はミランに残る方が幸せ、チャンスがあれば自分の価値あるところを見せ、このユニフォームでスクデットを勝ち取って終えることができたことが幸せだ」

(Milan News.it 11/05/31)


くくー泣けてきちゃうよ、ヤンクロさん。膝が完治して、チェコでまたひと花咲かせてね。リハビリ終了までミラネッロに居ていいよ…ってのは、ミランの粋なはからいですね。

インテルの良い条件を蹴った、そんなミラニスタ魂を持ったヤンクロさん。恩返しのつもりか、スクデットのカップと共にミラン選手同伴クルーズツアーーー!というものにバカンス返上で参加しております。こちら。懐かしのチームメイト、セルジーニョとジダも一緒。ジェペスはコパアメリカもある忙しさなのに、だいじょぶか?w

将来、ぜひチェコのテクある若者をミランに送り込む敏腕代理人になってね!