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Ciao, ボルゴノーヴォ

コンフェデ準決勝、スペイン×イタリア。延長の末、PK戦で惜しくもアズーリは敗れたけど、前半のイタリアはすばらしく、次に対決する機会があったら勝てる手応えを得ることができた、そして本当におもしろい試合でした。見てる方もぐったり疲れたけれどもね。

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その放送中に明かされて知った喪章の意味。難病ALS(筋萎縮性側索硬化症=ゲーリック病)で闘病中だったボルゴノーヴォさんがお亡くなりになったため。

コモ、フィオレンティーナやミランで活躍した彼が、喉に人工呼吸器をつけた自分の姿を公開して、ALS治療の研究が進むようにボルゴノーヴォ財団を作ったことを発表したのが2008年9月5日。闘病していたことは伏せられていたので、彼を知るサッカー界に大きな衝撃が。

その時の記事:『FORZA STEFANO』『バッジョは「彼は現代の英雄だ」と言った』

以下、ALSについて抜粋します。

ALSは1年間に人口10万人当たり2人程度が発症し、発病しやすい年齢は40代から60代で、男性が女性の2倍ほどを占めます。ところがサッカー選手の発病率は3万人で43人と高く、今まで39人のサッカー選手が亡くなっています。ALSとサッカーとの因果関係は解明されていないとのことですが、ヘディングの衝撃(昔は今より性能が悪くて、水を含むと鉄球のようだった)の可能性も、現代の軽量なボールになっても高い発症率であることから考えにくい。それよりも芝生へ散布される薬剤が原因ではないかとも言われているそうです。

一時期問題になったドーピングも、サッカーより横行している自転車ロードレース界では発症が少ないことから主原因ではなく、頭や脚のケガ、そしてその炎症を止めるための薬の投与など、様々なことが重なった結果ではないか…と推測されるだけで解明できていません。だから、現役選手はもちろんのこと、ボルゴノーヴォと同世代の40代の元選手たちにしてみれば、とても他人事ではないことなのです。


その後、チャリティマッチには必ず姿を見せていたボルゴノーヴォの弊ブログ記事(その他は彼の名前でブログ内検索してみてくださいませ)。

『il Milan Glorie』×『il Real Veteranos』(1) (2)

『Adidas Cup per Borgonovo』(記事最後に記述あり)

Twilogでのボルゴノーヴォ関連呟き 脳卒中を起こして入院したカサ坊への言葉にはじーんとした。

ALSの治療に関しては、2009年7月にミラノBesta神経学研究所によるEPO投与が効果ありの可能性を伝えるニュースや、2012年8月のALSの進行を制御する新たなタンパク質を岐阜薬科大の原英彰教授らの研究グループが特定して、発症メカニズム解明や新薬開発の手がかりに…と期待されるニュースなどがあり、そのたびにボルゴノーヴォに間に合ってくれれば…と思いましたが、ほんとうに残念です…。

以下は2010年、CLのインテル戦を控えたチェルシーのアンチェの元へ応援に訪れたボルゴノーヴォのメッセージ

Ciao Carlo

今夜はインテル戦だね…うわあ、君は監督としてもなんてエキサイティングな試合を経験するんだ。君がなにひとつとして不足してないってことでもないのは確かだけどね…。

70年代後半のコモでのパルマの試合を覚えてるかい?!? 君がやってのけたすばらしいゴールをさ?! 君のとてつもない一蹴りでボールはコーナーギリギリに決まり、1-0でパルマの勝利に終わった。君がボールボーイの『pistolino』を覚えてるかわからないけど、試合が終わるや否や君のサインをねだった。

あれは僕だったんだよ、カルロ。そしてあの時のように、いま君は僕に大きな手をさしのべてくれている。親愛なるガゼッタの読者諸君、アンチェロッティ監督が毎回多額の支払いを実際にしてくれて、ボルゴノーヴォ財団の財政を助けてくれていることを君たちは知るべきだ。私を始めとして、ALSの世界からのすばらしい『ありがとう』を贈らなければならないと思っている。

GRAZIE CARLO!!


今日のガゼッタに掲載された記事を。ピルロのあのスーペルなゴールは忘れ難いものに。

ガゼッタが以下の記事とは別に、ボルゴノーヴォのピルロ宛Eメール本文を掲載していたけれど、唯一動かせるまぶたの動きでタイピングするという、とんでもなく労力のかかる作業であれだけの長さのメールを書いた、それも死が近づいているその時まで…それだけピルロのあのFKがすごかったことでもあり、ボルゴノーヴォのサッカーへの情熱と敬意がすばらしい…。

最後のボルゴノーヴォ「ピルロ、君のゴールには感動した」
ALSで亡くなったストライカーはマラカナでの勝利後、ピルロにメール「きみはすばらしい人だ」

彼の最後のEメールのひとつはアンドレア・ピルロに書いたものだった。それは6月17日月曜日、アッズーリの2013コンフェデレーションカップでの開幕戦、代表とユーベでのレジスタのすばらしいFKによるゴールがあった、イタリア×メキシコ戦(2-1)の翌日の出来事だった。

文章 日曜日、ボルゴノーヴォはテレビで対戦を見て、翌日にはALS患者や麻痺患者のためのまばたきによる操作システムを備える彼の特製コンピュータに集中していた。49才の元ミランとフィオレンティーナのストライカーは、そうしてピルロへEメールを送っていた。その文面はSKYが昨日明かしたところによると「チャオ、アンドレア。ステファノ・ボルゴノーヴォです。なんてまあ、昨日は感動したよ、少なからずね! ほんとうに心からの賞賛を…。君のキャリアに、ユーベでのスクデットに、しかしとりわけ君の人間性に。その賜物以上のなにものでもない。強く抱擁を。ステファノ」。こうして亡くなる10日前、ステファノはすばらしいゴールに興奮し、それを生み出したピルロを賞賛する力を見いだしていた。最後の最後までサッカーへの情熱は失わなかったのである。最後の数ヶ月はとても辛い状況で、ステファノは生きたいと望む気持ちと、絶望を受け入れる気持ちとの間で揺れ動いた。Eメールは外の世界へと扉を開く唯一のものだった。ピルロがこのEメールを自分の最も得難い思い出として保管し続けるだろうことは想像に難くない。

みんなステファノのために この数時間、ボルゴノーヴォの思い出に関するメッセージが殺到している。ローマのキャプテン、トッティはこう書く:「とても悲しんでいる。ステファノは偉大な心の強さと冷静さをもって病と戦っていた。彼のがんばりは人生のお手本だ」。フィオレンティーナ代表取締役サンドロ・メンクッチ:「デッラ・ヴァッレ会長と共に2008年に続く2回目のミラン戦チャリティマッチを計画しようと思っている。これはボルゴノーヴォ財団にさらなる発展をさせるための試合だ」。『ボルゴ』の元チームメイト、タッソッティは研究者にアピールする:「ALSに関して確かなことは何もない。科学がなにか解明してくれることを願う。ステファノはひどい状況であっても、彼の元を訪れた人たちをくつろがせるような笑いを生む、皮肉屋のファイターだった」。そして選手会長ダミアーノ・トンマージ:「彼の戦いは忘れられないだろう」。レガとセリエB会長で倫理委員会のメンバーだったために親しかったアボディ:「我々にとってステファノはすばらしいお手本を示してくれる永遠の会長だ」。スペイン×イタリア戦での黙祷は許されなかったが、FIFAのブラッター会長は「イタリアには喪章をつけてプレーする機会が与えられた」と言った。

(Gazzetta dello Sport 13/06/29 第14面)


他にもたくさんのサッカー関係者からのメッセージがWEB上で見られました。以下はフィオレンティーナ時代の同僚で親友のバッジョの言葉。私の語学力では誤訳は避けられそうにないのでだいたいを訳しますが、念のために原文を置いておきます。

親愛なるステファノ、あなたが年月をかけて築きあげてきたすばらしい足跡は、他のものたちにとっては病気の毒を薬に変えていた。チャオ、私の友だち。その人間性を永遠に誇りに思う。私はこの訃報に心の準備ができていなかったが、人生には納得できないこともあると理解している。そして我々はなにもできない。あなたは我々の時代の最高のヒーローで、最愛の妻シャンタルのようなしっかりした支えをそばに得ていた。あなたはALSと戦うため、その研究のためにと自らの苦しむ姿を公けにした。あなたがその病に何年も冒されていたことを、我々はほとんど知らなかった。あなたにとってはさほど価値がないそのカミングアウトは、他の者にとってはとても価値がある行為だった。ステファノ、それゆえにあなたはすばらしき人間性がなした思い出と遺産と、限りなき尊厳を残した。

この瞬間、どれほどの思い出が胸に去来することか。まずは2008年にアルテミオ・フランキで行われたあなたの財団のためのフィオレンティーナ×ミラン戦チャリティマッチ。私たちのピッチで再会し、Fiesoleと歌うファンたちへと一緒に向かいあった。それから2年後にはガゼッタ本社で、あなたの自伝本のお披露目のために。いつもあなたの目は語り、いつもシャンタルがそばにいた。でも本当のことを言うと、私の脳裏にはしばしばもっと昔の光景が浮かんできたと告白せざるを得ない。かなえられた私たちの夢。そしていま、わたしの最も大きな喜びがなんだかわかりますか? たぶん一度も言ったことはないことだけれど:アシストしてゴールさせて、君の目に限りなき幸せを見いだすこと。今日、ステファノ、あなたの死のニュースを聞いたこの痛みを埋め合わせることができるのは、幸せな時の記憶だ。あなたが自分の状況に与えた名前、『Stronza(馬鹿者。ひどいこと)』からとうとう解放された事実と共に。私の祈りの気持ちが天への旅路の伴侶となりますように。

ロベルト・バッジョ

Caro Stefano, l’impresa più bella che sei riuscito a costruire negli anni è stata quella di trasformare il veleno della malattia in medicina per gli altri. Ciao amico mio, onorerò per sempre la tua persona. Ero impreparato a questa notizia ma mi rendo conto che è il mistero della vita. E non ci possiamo fare nulla. Sei stato un grandissimo eroe del nostro tempo ed hai avuto vicino un pilastro come Chantal, la tua sua dolcissima moglie. Hai offerto la tua sofferenza in favore della ricerca, per combattere la Sla, quella malattia di cui, quando ti ha colpito anni fa, si sapeva davvero ben poco. Un’offerta la tua che non ha valore tanto è stata preziosa anche per altri. Stefano, anche per questa ragione lasci un ricordo e un’eredità fatto di grandiosa umanità e infinita dignità.

Quanti ricordi mi attraversano la mente in questo momento. Il primo è quello del 2008 al Franchi, nell’amichevole tra Fiorentina e Milan in favore della tua Fondazione. Di nuovo insieme nel nostro campo, io e te verso la Fiesole e i nostri tifosi che cantavano. E poi due anni dopo nella sede della Gazzetta, per la presentazione del tuo libro. Sempre i tuoi occhi che parlavano, sempre Chantal al tuo fianco. Ma a dir la verità devo confessarti che il pensiero corre spesso più indietro nel tempo, a quegli anni passati insieme nella Fiorentina. E quando dalla Viola siamo andati tutti e due in Nazionale. Giovani, spensierati, con tutta una carriera davanti. Il nostro sogno che si stava avverando. E sai qual era allora la mia gioia più grande? Forse non te l’ho mai detto: mandarti in gol con un assist e vedere nei tuoi occhi un’infinita felicità. E’ il ricordo di quella felicità che oggi, caro Stefano, riesce a compensare il dolore per la notizia della tua morte. Insieme al fatto che finalmente ti sei liberato della Stronza, il nome che hai sempre dato alla tua malattia. Che il mio pensiero di preghiera ti possa accompagnare nel viaggio celeste.

Roberto Baggio


Mediasetによるボルゴノーヴォのフォトギャラリー

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49才。早過ぎます。どうぞ安らかに。