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ミランのハート、カカー

300試合の当日朝のコリエッレ・デッラ・セラ紙に、カカのロングインタビュー。移籍して来た時からミランの後はアメリカ行きの約束があると噂されてきたカカ。このインタビュー内のコメントで、今季で移籍するのでは?とまたメディアが騒ぐ。

でもニュアンス的には誤解されてるし、それ以外の話がとてもおもしろいので全文訳しました。しかしまあ、セラ紙の記事導入部のポエミーなことったら!ガゼッタを上回るわw(よって、訳も困難を極め、間違いあるやも)

なお、CL出場ない場合、2年契約だけど今季末で契約解除できる条項を持つことはガッリアーニが(『私は残って欲しいんだが…』と言いつつ)認めております。そしてカカもキエーボ戦後また質問され、「将来について? ミランに来てからずっと僕の将来について噂がある。僕は急いでいない。ここでとても満足している。このことについて僕に話すよう言わないでくれ。僕はここで幸せなんだ。これが自分の将来についての最後の言葉」とキレ気味だった。

これについては、クラブもカカ本人もファンもみーんなカカ残留を願っていたとしても、それでも移籍せざるを得ない金銭状況になる可能性もあるな…とひそかに覚悟は決めております…がー! それは最後の手段として、ミランのハート=カカーはやはり残して欲しい! グランデだったミランを体現できるのはいまカカしか居ないもの。

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カカー、ミラン魂
「危機から脱出できるよう、このチームのためになることを願うだけ。将来?アメリカにいるかも。ガッリアーニと話し合う」

ミラノ発 彼は左足で始めた。それは床屋の休業日である月曜日、12年前のことだった。彼はアンコーナ戦で王位継承の洗礼を受け、100試合目はマラッシでサンプドリアと戦い、200試合目はサン・シーロでカターニアと。そしてマドリードの黄金の地獄で4年を過ごした後、今日、彼はロッソネリのユニフォームを着て(公式試合)300試合目をキエーボと戦う。カルロ・アンチェロッティのグランデミランの最後の輝きのひとり、リカルド・カカーの人生の歴史的十字路において、ボールにクリームが塗られたことは決してなかった(=間違った方向に行かなかった?)。彼がフェンスのもう一方、インテルの選手になる可能性もないことはなかったのだ(『2002年1月、サンパウロにブレシアの幹部が来た。それでブレシアへ移籍するはずだったんだけど、それからインテルからもオファーがあった。でもあの時サンパウロは興味がなかった。日本でのW杯があって、だから時間をとることに決めたんだ』)。我々のリカルディーノにとって輝かしき賞讃とお披露目の今宵。CL出場のない6月にはもう契約解除が許される契約条項を持つ彼は、心はなんとしてもそれに抗いたいにもかかわらず、アメリカへとウインクしている。

—カカー、ミランへの帰還をもっと違うものと想像していましたか?

「歓迎はまるで1シーズンも出て行かなかったような、考えうる以上の温かいものだった。その一方、シーズンは期待どおりには行かなかった。でもこういう危機は成長できる時期だと考えている。過去にユーベも難しい時期を過ごしたことを思い出そう。インテルだって。ビッグクラブはみんなそれぞれ問題を抱えたことがあった。それがサイクルだ。サッカーの、人生の一部分だよ」

—それで、あなたには後悔はないのですか?

「帰って来たことを後悔したのは一瞬たりともない。この選択はとても断固としたものだったし、僕は幸せだ」

—あなたと奥様にとってミラノは2番目の家のようになったのでしょうか?

「つまり全てが大切なんだ。ここで僕は生活を手に入れ、人々も愛情も。いま僕らはチェントロ(ミラノ中心街)に住んでる。徒歩で散歩したいからね」

—つまりミラネーゼがミラノの悪いところを話すのは間違っていると?

「僕に言わせれば間違ってるね。ミラノにはたくさんのすばらしいことがある。ミラネーゼたちはもっと自分たちの街を誇るべきだよ」

—4年たって、この街はどうですか?

「たぶん、ちょっとめんどうが増えたかな」

—しかし危険な雰囲気は感じない?

「マドリードより感じないよ。マドリードでは危険な感じがもうちょっとひどかった」

—そして4年たって、カカーも変わった?

「いまは前より経験を積んだし、成熟した。マドリーでの経験はたいへんなことだったけど、でもとにかく自分の人生にとって重要だった。4年間難しい時間を過ごしたけれど、なんとか生き延びたんだ」

—モウリーニョにも。

「3年間、自分がチームにとって重要だと彼に納得させようとしたけど、ほとんど彼の信頼を得ることはできなかった。でもいつだって彼の選択をリスペクトしていたし、まだ今でもひんぱんに連絡してるよ」

—マドリーを選んだのは間違いだったと気がついたのはいつですか?

「間違ったとは思わない。自分のキャリアにおいてマドリーでプレーすべきだったんだよ。たとえ望んだように行かなかったとしても、移籍しないではいられなかった。レアルは他のクラブとは全く異なるクラブなんだ」

—マドリー移籍した時すでにケガをしていたというのは本当ですか?

「違うよ。2009年、僕はブラジルでコンフェデレーションカップを戦ったし、最優秀選手にもなった。でも4ヶ月後、選手にとって最悪の問題である恥骨炎だとわかったんだ」

—リッカルド、あなたの前のミランに恋しいものはなんですか?

「たぶんもう少し多くのポイントかな」

—そして今のミランには何が残っている?

「歴史を感じることができる。人々の愛情がミランを重要な存在にしている。ミランに良くありたいと願い、この状況を良くしていこうとする多くの人々がいる」

—サッカー界でのあなたの最良の友人たちは誰ですか?

「友達はたくさんいるよ。パオロ(マルディーニ)、リーノ(ガットゥーゾ)、ピッポ(インザーギ)、クラレンス(セードルフ)にシェヴァ。彼らとはよく連絡をとってる。最近ではヤンクロフスキとも再会した。ヤンク兄(il vecchio Janku)はCLの試合を見に来たんだ。それからブラジル人たちみんな:リヴァウド、セルジーニョ、ヂダ、カフー」

—自分の将来をどう想像していますか?

「いつかはアメリカでプレーしてみたいな。どうなるかな(Vediamo)。シーズン終了後にガッリアーニと話したいと思う。それはボーナスやお金の問題のためだけじゃなくて。いま僕にとってお金は主要な問題じゃないんだ。これはわかってもらえると思う。ガッリアーニとクラブの考えがどういうものか理解したいんだ。とにかく自分が変わらなくちゃならないなら、アメリカへ行くと思う」

—ブラジルへ戻るという考えは頭をよぎらなかったのですか?

「率直に言って、ブラジルにはあまり惹かれない。考えられるタイプの経験をイメージすることができない:たぶん彼らは11年前の選手の自分を期待してる」

—ではサウダージ(郷愁)もないのですね。

「あるよ、もちろん。サウダージはあるけど、ブラジルのチームは年間80試合以上もプレーするし、それに加えて160日も合宿する。僕はそれはできない」

—あなたの最も重要なゴールをひとつだけ写真におさめなければならないとしたら?

「きっと2007年5月2日サン・シーロでのマンチェスターユナイテッド戦のだね。僕らはどうしても勝たなくてはならなかった。あれはパーフェクトな試合だった」

—ベストゴールですか?

「それはオールド・トラッフォードでのファーストレグのだね」

—では歴史を変えたに違いない間違ったゴールは?

「デポルティーヴォとのラコルーニャで。僕らはまだ0-0だった。右サイドで動きがあった。僕らは4-0で負けた」

—一緒にプレーした中で最強のチームメイトは?

「ロナウド、彼はフェノーメノだ。でも精神的にはマルディーニとカフーだね:彼らはすでに多くを勝ち取ったにもかかわらず、毎日死にものぐるいで練習していた」

—いまの若者たちのそのような強いメンタルがありますか?

「世界は変わっている。僕がミランに来た時は携帯電話がなかった。でもちゃんと地に足をつけている若者たちはいるよ。例えばデ・シリオだ。彼はミランで育った。強いメンタルを持っている:僕はとても好きだ。ポーリもそういうメンタルを持ってるひとりだね」

—いまのミランで誰があなたの以前のミランで先発できたでしょうね?

「難しい質問だな。時代が違うし、状況も違う」

—過去との関係について語ってください。

「時とともに変わったのは試合の見方だ。移籍してきた時、僕は戦術的にはゼロに等しかった。僕の知ってることといったら、ボールを受けてマウスへ向かうことだけ。直感にしたがってプレーしてた。それからプレーを選択し始めた。経験はとてもすばらしいことだ。でも若い時の直感をちょっと奪うものでもあるね」

—あなたにとって聖書は、この地でいかに生きるべきか神によって教えられる導きの書で在り続けていますか?

「ずっとね。でも僕は他の本も読むよ。ブラジル人作家、心理学者のAugusto Curyもすごく好きだ。イタリア語でもいくつか翻訳されてるね」

—バロテッリには聖書を一度もあげていない?

「もし彼が望むなら、いつだってコピーしてあげるよ」

—セードルフについて話しましょう。

「彼のことはミステル(監督の呼び方)と呼べなくて…クラレンスとだけ…おかしな状況だよね」

—セードルフ監督がたくさん話すというのは本当ですか?

「僕はそうは思わない。彼にとってこれは始まりで、彼の考えが練習で注入できるまでそれを説明すべきだ」

—あなたがアドバイスを与えたことは?

「イニシアチブを取るのは好きじゃない。そういうことしたことないんだ。でももし彼が望むならするよ…クラレンスはこういった難しい状況を望んでいなかったと思う」

—それからセードルフの部下である心理学者からは何か言われますか?

「これは重要な見方だ。ブルーノ(心理学者)は話すよりも見守っている」

—しかしリスクは分析下で感じること。

「誰がプライベートなカウンセリングをしたか僕は知らない。ブルーノはいつも僕らと一緒にいて、ずっと見守っている」

—あなたがミランに来て数ヶ月後、自分の夢はパオロ・マルディーニのようなすばらしい物語を書くことだと話しました。

「僕のサッカーとミランでの物語は考えていたよりずっともっとすばらしい物になった。パオロのようじゃないけれど、でもこんなにたくさんの夢をかなえたよ」

—最後にリッカルド、この長いインタビューを要約できるとすれば:『300試合そしてお別れ、アメリカで会いましょう』?

「そんなこと言ってないよ」

(Corriere della Sera 14/03/29 第56面)


最後、まったく!メディアってやつは!

ひいきのデ・シリオとポーリが地に足のついた若者とほめられてるのがうれしいなー。シャラ坊も憧れの先輩にほめられるようがんばれw