久々のガットゥーゾ節

ミランチャンネルのガットゥーゾロングインタビュー。リーノによるミラン(つかの間の)黄金期の振り返りにもなっており。最後の方の内容をミランチャンネルで語ったことにも意味があるねえ。

マリオ・ロマーノ(亡き義父で奥さんとの出会いとなったスコットランドのイタリアンレストラン経営者)の思い出:「すごく成長させてくれた。俺たちは友達で、キャリアにもとても影響力があった。18才の時に知り合って、すごく助けてくれたんだ」

ブリテン島(英国)のファン「サッカー生活のあらゆる生き方、その全てのメンタリティ、まるっきりイタリアとは違う文化だ。スタジアムでは規則に従う、いま俺たちに足りないものだ」

レンジャースへの最初の一歩「彼らをからかったよ。俺はカソリックだったし、君らには女王がいるんだもんなって、からかった(笑)。まあでもずっと彼らのことは尊敬してた」

ミラニスタ「俺はミラニスタの家に生まれたんだが、ステアウア戦CC決勝(88/89のサッキ体制)でミランが勝った時のことを思い出す。俺は泣き出して、親父はお祝いするために俺をつれて道に飛び出した。俺たちがマンチェスターでCL優勝した時に、親父は俺のことを誇りに思うって人生で初めて言ってくれた。泣いたぜ」

ミラン移籍「サレルモに居た時、俺はローマに売られる寸前だったんだが、金が足りないからミランへ行くべきだって親父に言われた。それですべてふっとんで、俺はロッソネリのユニフォームを来て自分の夢を実現させたんだ」

ミランでの最初の年(99/00)「俺たちは3位に終わった。ファンたちは俺の事を疑ってた。そんな極上の偉大なクラスの選手じゃなかったし、そういうのを良く思わない人たちもいた。ブライダはすばらしかった。俺は冬にフィオレンティーナに行かなきゃならなかったんだが、俺のことを考えてくれてミランに残した。あれは特殊な年だった。俺たちは3バックでプレーし、ミランらしくなかった。今はたくさんのチームが採用してるが、あの時代には稀だったし、ガッリアーニは好きじゃなかった。とても不経済なサッカーだったし、俺たちは苦しんでた」

ジョージ・ウエアの譲渡「彼のことはまだとても残念に思う。彼は俺のアイドルだ。ミランのスター軍団の一員だった。別れの時はほんと胸がつまったな。ザッケローニと問題があったのは彼だけじゃなくて、ボバンもだった。偉大な選手だってダメな時にはピッチに立つことはできない」

ミランのロッカールーム「俺は口は堅いし、ロッカールーム内のことは話さなかった。ひとつだけ話すと:あの頃のミランにはとても口うるさく全てをコントロールするアルベルティーニとコスタクルタがいた。彼らは偉大なプロフェッショナルで、俺はミランってのはあんまりふざけられないとこだなってすぐにわかった。そういう偉大な選手たちのことを見て聞いて、それから彼らの後をたどった。そしてミランに移籍してきた選手たち全員にこのユニフォームをどうやって汗で濡らすか、永遠に愛するか、それを教えたんだ」

ザッケローニの解任「ああいう解任については慣れてなかった。ザッケローニは俺にたくさんの時間を使ってくれ、もっと成長する俺が見たかったんだ。がっかりさせちまったな。でもそれから俺はもっと改善させてくれるタッソッティに出会った。俺とタッソだけの練習が俺の成長の秘密だ」

インザーギのミラン行き交渉のアシスト「俺は代表でインザーギのシューズをいつも盗んだ。ある日、ヤツは俺のシューズでゴールしたんで、それからもう盗まないようにした。すげえ友情が生まれたんだな。彼とはよく電話してたし、彼はミランに来たかったんだ。ピッポのアシストをガッリアーニに話したら、獲得を喜んでた」

テリムの不幸な年「テリムはすごく訓練された人物だったが、ここミランはフィオレンティーナとは違う。たくさんのケガ人が出てすごくペナルティを受けたのは不運だった。監督交代はチームとしては敗北だが、良い変化でもあった。アンチェロッティが来たからな」

アンドレア・ピルロの誕生「ピルロはとうとうブレイクし、その一方でアルベルティーニはちょっと終わった。アンチェロッティがピルロのためにDFライン前にポジション与えたからな。あれは俺にとって大きな好転だった。俺がピルロにパスして、それは銀行にボールを預けるみたいなもんだ。カルレットはチームを彼の上に築いた。すごい直感を持ってたな。あんなにどうして考えられるのはわからないよ俺には」

5月5日の思い出「5月5日は俺たちがスクデットを取った日として覚えてる。夜通しのフェスタを思い出すよ。あれはすばらしいサッカー、ライバル心だった。俺たちのデルビーをいつだってすげえリスペクトしてた」

リヴァウドの移籍「彼はハイペースをキープするのに慣れてないと言ってたし、俺は走らねえなと言った。それが俺がヤツにしてやれたことだな(笑)」

ネスタの移籍「サンドロには電話しまくった。俺とピルロなんかと毎日な。ヤツはユーベに行こうとしてたからさ。だから俺たちの働きはサンドロのミラン移籍において重要だったんだ」

ココとセードルフの交換とミラン勝利の始まり「俺たちは練習で別次元に行ったなとすぐわかったよ。ボールの音が違うんだ。去年のバルセロナじゃないけど、なんか新しいものが運ばれてきたって実感した。俺たちは監督のためにプレーしたかった。だってうまく行って欲しかったし、監督は俺たちと一緒に興奮していた」

2003年のチャンピオンズ・リーグ「ランス戦でなにかが生まれた。すばらしい雰囲気、満員のスタジアム、違う空気を吸ったんだ。そして優れたドリブルでピッチに新風、ファンたちはこれにブーイングしてた。これが始まりだった。それからバイエルン戦の勝利で、俺たちはなにか重要なことをなしとげられるという確信が生まれた」

マニアックなストライカー、インザーギ「ピッポが対戦相手を研究する時は、まる一日CDを作ってた。誰もが知ってるが、ヤツはサッカー病患者だった。誰もがインザーギは選手としてラッキーだったと考えるが、これは技術と準備の賜物なんだよ。クロスに対してボックス内で飛び出し、特殊なやり方で勉強してた」

インテルとのCL準決勝「俺はこの試合のためにソファーの上に11年間眠ってたんだ。あの試合の後、俺はもうベッドの上に座れなくなった。試合に対して悪いアプローチをしてしまったのさ」

ユーベとのCL決勝「これは夢じゃないかと思いながらミランでの生活をおくっていたし、ロッソネリとしてチャンピオンズ・リーグ優勝するなんてなにか想像を絶してた。W杯よりももっと夢だった。マンチェスターでは自分の人生のゴールに到達したと思ったよ。世界的に栄光に輝いていた時からミランを応援してたんだからな」

カカの加入「彼について聞いてたことがどんなにばかげたことが多かったことか。彼がミサイルみたいに走り出したのが最初で、俺はもうつかまえられなかったのを思い出す。最初の試合、ヤツはソンブレロかぶったみたいに颯爽と登場して、あれが彼のミランでのすばらしいキャリアの始まりだった」

チャンピオンズ・リーグ勝利後「俺たちは腹いっぱい満足しきって、ひでえ夏を過ごした。親善試合全敗、自分勝手な選手たち、アンチェロッティはすげえ怒りまくった。そんなのはめったに無いんだ」

ポルトとのスーパーカップ決勝「あれはモウリーニョに率いられたすごいチームだった。よく躾けられ、難しい対決だった。ルイ・コスタがクロスをあげ、シェヴァが重要なゴールを決めた」

デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦「あの試合を勝ってたら、あの年のビッグイヤーを取れてただろうって、俺は疑いなく思う。まだあの夜をまだ覚えてる。女房がちょうど自動車事故にあって、家に帰るかって聞かれた。俺の頭は自宅のあるガララーテに飛んじまって、女房のことばっかり考えてたから、精神的に試合に入れなかった」

カペッロとの関係「俺たち二人は強いキャラクターだし、お互いゆずるということを知らないが、今はともだちだ。よく電話するし、すごくよく連絡を取り合うよ」

シェフチェンコについて「シェフチェンコはロボットみたいに見えた。ゴールの外にはずすのをあんまり見たことない。いつだって枠内に決めて、まるでスナイパーだった」

(カルチョポリ時の)審判のミス「リーグ戦を戦う選手たちに最後にひどい仕打ちがやってきたし、審判のミスが高くついたが、俺たちはサッカー選手の一員だったし、黙っているしかなかった。まああの時は本当に偉大なユーベだったと認めなくちゃなんねえな。フィジカル的に打ち負かされてたし、一方俺たちはもっとヨーロッパを舞台にしたサッカーをプレーしてた」

フィオレンティーナ戦のゴール「俺のファンたちのためにやったんだ。サン・シーロではずっと決めてなかったし。ファンが俺を活き活きとさせてくれたんだ。そしてみんなにとって自分がなにか重要な人物だと賞讃してくれた」

リバプール戦で負けたCL決勝「今日、あのイスタンブールの試合を監督の立場で見直したが、俺はあのチームになにも言えないな。いいプレーをしていたし、あの6分間にどうすることもできない。ほんとうに訳のわからないことだったよ。だってあれから俺たちは苦しむことなくリベンジしてるんだから。

ハーフタイムに関してたくさんの馬鹿馬鹿しい噂(優勝を確信してお祭り騒ぎ)を立てられたが、全部ウソだ。あの時のロッカールーム内ではもう何度もCL優勝してる選手たちがたくさん居て、相手がまだ死んでないとみんなわかってたから。もし同じコンディションで再試合したら、俺たちはきっと勝ってた。だって彼らより強かったからね。彼らが2007年に俺たちより強かったようにね」

ミランに別れをつげる最初の可能性「間違った態度を見始めて、イスタンブールの打撃の後に出て行きたくなった。おれにはいくつかの状況がいやだったし、ちゃんとしたことが欠けてる時は満足な練習ができなかった」

2006年にセリエB行きの可能性「俺はガッリアーニに電話して、もしミランがセリエBに行っても残りたいって言った。これは正しくないことだって肌で感じ取ってたからな」

バイエルン×ミラン 0-2「俺たちは勝利のために戦った。俺たちの監督のためにもな。誰もがファーストレグで絶望したが、ブライダともちょっとした言い合いになった。俺はセカンドレグでの勝利の後、ブライダが祝福に来たので怒った。でも全て解決済みだ。監督と合意していればそれが本当の力になる」

アテネでのCL決勝後「マルタで、チームがぼんやりし、信じられないような準備状態で、すばらしいグループではなくなってしまったことを思い出す。俺とガッリアーニはリバプール戦の後、このこと全て、俺たちの話を全部話した」

バイエルンへの移籍の可能性「バイエルンとは口約束で合意してたし、俺はミラン本部に12時に入って夜9時に出たことを覚えてる。俺は父とガッリアーニと一緒に3時間トロフィールームに閉じ込められ、狂いそうだったぜ。俺流に言えばドイツチームとの悪印象なんて糞くらえだが、それでミランにあと1年残ったんだからみんなに感謝しなきゃな」

膝のケガ(靭帯断裂)「俺がなんともないと思ったんで、レオナルドがプレーさせ続けたのは正しかった。ピッチで足ひきづって、辛かったが、監督は正しかったし、チームのために大いにやって、ひどくなる前にベンチに座ったんだから」

スクデットを失った2年前について「ロンドン(アーセナル戦敗北後)ではザンブロが言ったように、何かが壊れて多くの問題が吹き出したが、結局はムンタリの幻のゴールが違いを作り出した。もしあのゴールが認められてたら、俺たちはユーベを5ポイントじゃなくて8ポイント上回っていただろう」

マルディーニ「もしマルディーニとガッリアーニを仲直りさせる具体的チャンスがあるとわかったら、俺が肩をつかんで家に引っぱって来て、彼らを引き合わせたい。パオロはこのクラブになにがしか与える事ができる。そのして来たこと、ロッカールームに残してきたことゆえに。もし彼らが顔をつきあわせて物事をはっきりさせる機会があったらすごくいいだろうな。話せばほんの数分で全部元通りさ」

「来季、ミランは選手獲得を間違っちゃなんねえ。それにフロントはファンにウソを言うべきじゃねえな。俺たちミランだからリーグ戦で優勝するなんてウソこくな。重要なのは1本のポリシーを持って、それをたどることだ。ミランの歴史が教えてくれてる」

「セリエBにいた時のミラン×カヴェーゼ戦で、スタジアムはいっぱいだった。これはサポーターたちの愛の現れだ。彼らは明快さだけが欲しいんだ。ベルルスコーニは比べられない存在、こんなにたくさんのトロフィーを掲げて来た。でも今、俺たちは再起する必要があるんだ」

「イタリアで監督するのは難しいだろう。俺が監督する可能性は外国の方があるな。監督は学校へ行くようなもんだ。ピッチに居れば居るほど経験を積める。いまは草ぼうぼうのピッチに出向いて俺の若いもんたちと話す機会もなくて、それが恋しいよ」

「サッカーを実際にプレーすることは恋しくない。俺はそれに全身全霊を捧げきったってわかってるからな。死ぬまでフォルツァミランだぜ!」

(Milan News.it 14/05/28)


リーノ、ピッポとネスタ獲得のアシストありがとう〜!w